古代ウルベア帝国滅亡原因と太古の文明について

今回は2020年の3月頃にTwitterに書いた事を下敷きに、ver.4.3の舞台であった古代ウルベア帝国その滅亡原因についてとドワチャッカ大陸に過去に現在でも未発見の文明があったのではないかという個人的な考えを書いてみたいとおもいます。

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ぼくドワーフ

以下ver.4.3のネタバレを含みます

 

 

神話時代から三闘士の登場まで

 ドラクエⅩ世界の正史ともいえる(かなり整合しない部分もありますが)創世記によると神話時代が終わった後のドワチャッカ大陸の歴史は約4000年前の三闘士の登場までは記述がありません。

 

5000年より前に起こった災厄の王の二度目の襲来により世界が崩壊しゴフェル計画が発動、人間を除く五種族の救済対象者たちがアストルティアに帰還するのが約5000年ほど前です。

 

三闘士たちもルーツをたどればゴフェル計画の救済対象者の子孫だったとなるでしょうがそれ以外に生存者は本当にいなかったのか五種族の帰還まで五大陸は無人だったのかなどについては不明です。

 

 

三国時代の終わり

ver.4.3の舞台となったのは、創世記によるとドワチャッカ大陸の現在から約3000年~2500年ほど前の時代でありドワチャッカ大陸を開拓したと伝えられる三闘士の末裔を自称する三つの国家「ガテリア皇国」「古代ウルベア帝国」「旧ドルワーム王国」が栄えた三国時代の末期でした。

 

主人公が時渡りで訪れた時は、ウルベア地下帝国が隆盛を極めており領土を拡大、ガテリア皇国を滅ぼし残る旧ドルワーム王国も戦火を逃れるために砂漠の中に隠れていました。

 

ガテリア皇国滅亡はウルベア地下帝国の奸臣グルヤンラシュの個人的な欲望から和平を望んでいたウルベア皇帝ジャ・クバを暗殺しその罪をガテリア皇国第一皇子ビャン・ダオに擦り付けた事が原因でしたが時渡りでこの時代に来た主人公たちがジャ・クバの子であるウルタ皇女をを手助けすることでグルヤンラシュの排除に成功します。

※クエストNO.087~091「動き出した時間」ビャン・ダオから語られる当時の記憶とver.4.3のストーリーには違いがあったりもしますが今回は4.3での展開を重視したいと考えています。

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ウルタ皇女

ウルタ皇女による新体制となったウルベア地下帝国は現在から約2500年前までには滅亡していますがその滅亡原因は不明と創世記に書かれています。

 

三国時代最後の生き残りとなった旧ドルワーム王国も約2500年ほど前には天魔クァバルナがドワチャッカ大陸に襲来した事により滅亡しています。

旧ドルワーム王国の滅亡により三国時代は本格的に終焉を迎えた事となります。

 

 

ウルベア地下帝国の支配地域

現ドルワーム王国の資料によると

「古代ウルベア帝国はドワチャッカ大陸全域に勢力を拡大していたという説が有力」

とあります。

 

過去世界でこれを確認してみると、古代ウルベア帝国の支配地域といえる場所は、本拠地であるガタラ大山林・カルディア溶岩帯・ダラズ大鉱脈の三地域と、ゴブル砂漠東を拠点にガテリア皇国へ侵攻し滅ぼしたことを考えるとゴブル砂漠東の一部もしくは大部分・ゴブル砂漠西・ボロヌスの三地域も支配地域になったと考えられます。

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ガタラの丘にある帝都入り口は現在のダストン邸の辺りか?

さらに、兄の結婚式のため帝都に来ていたテテンはエゼソル地方で塩の生産を生業にしている一族との事ですからエゼソル地方も支配地域だったと考えられます。

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お兄さんの結婚式の為に来たテテンさん

ガタラ大山林など六地域とエゼソル地方を加えた七地域ということはドワチャッカ大陸全域が支配地域であったといっても過言ではないでしょう。

 

ただ、過去世界のエゼソル地方は現代とは違いカルディア溶岩帯との境目には溶岩の川が流れ地続きではありません。テテンはどうやってエゼソルから移動してきたのかは不明ですが古代ウルベア帝国では反重力飛行装置があるので移動自体は難しくないのかもしれません。

 

ドワチャッカ大陸で古代ウルベア帝国の支配地域に属していない地域は、現在のモガリム街道からラニアッカ断層方面とザグバン丘陵、サーマリ高原方面となりますが、約3000年前の世界にはサーマリ高原への道は未だなく高い山に阻まれ陸路での移動はできません。そして、モガリム街道方面も橋が架かっておらず移動は不可能で「未開拓のため立ち入り禁止」と看板に明記されています。

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古代のガタラ大山林の南部 サーマリ高原には移動不可能

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ガリム街道方面には橋がなく渡れない

 

 古代ウルベア帝国滅亡の原因を考える

創世記に原因不明と書かれている古代ウルベア帝国の滅亡ですが原因とは何だったのかいくつかの可能性について考えてみたいと思います。

 

考えられる理由として

  1. 敵勢力からの侵攻で滅んだ可能性
  2. 国内事情で滅亡へ向かった可能性
  3. 突然の滅亡だった可能性

この3つの視点から考えてみたいとおもいます。

 

1.敵勢力からの侵攻で滅んだ可能性

個人的にこの可能性は低いと考えています。

 

この時代ガテリア皇国を滅ぼしたウルベア帝国はドワチャッカ大陸において軍事力的に一強状態で、旧ドルワーム王国は二国の争いに巻き込まれないように砂漠の中に都市ごと隠れていました。

 

ガテリア皇国が負ければ次に攻め込まれるのは旧ドルワーム王国の可能性が高いわけですがガテリア皇国側に援軍を送る事もしてないと思われるので、援軍を出すだけの兵力が確保できないほど国力が低いもしくは他の二国との国力差があったと考えられます。

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いけっ!魔人兵!

それほど国力の差がある状態で旧ドルワーム王国がウルベア帝国に勝利できるとは考えられず、更にもし旧ドルワーム王国がウルベア帝国を滅ぼしたとするなら勝利した側の記録が残っいるはずで滅亡原因不明とはならないはずです。

 

後に天魔が襲来した時に全ての記録が失われてしまったので戦争の記録が残っていないという事はあるかもしれません。

また、本来旧ドルワーム王国は本来国力が十分あったが、グルヤンラシュとの間での密約があり敢て二国の争いに中立を装いグルヤンラシュの野望が成就した暁にはドワチャッカ大陸の覇権を旧ドルワーム王国が握る予定であったという事もありえるかもしれません。

 

2.国内事情で滅亡へ向かった可能性

個人的にこの可能性はある程度あると考えます。

 

奸臣グルヤンラシュを排除しウルタ皇女による新体制をスタートさせたウルベア帝国ですが国内に不安要素は数多くあったはずです。

 

先ず、グルヤンラシュによる莫大な国家予算の軍事費への投入と私的野望の為の流用で国家財政が悪化している可能性が高く軍縮をしながら国家予算振替をしなくてはいけませんがそれを帝国技術庁や兵士たちが納得してくれるかは大問題であり失敗すると内政は不安定なものとなるでしょう。

 

次に最大の課題となるのが、滅んだガテリア皇国からの難民流入問題です。

ダラズ大鉱脈の強制労働所で働かされていた元ガテリア兵の捕虜たちは解放され希望する者には労働者としての給与も支払われる事になりましたが、帝都の下層へ流入している難民たちはどうなるのでしょうか。

 

難民たちの多くは仕事もなく悲惨な生活をしているようです。難民たちへの生活支援や就労斡旋を行えば改善されますがそれには莫大な予算が必要であり急激な人口増加による帝国民からの反発や住民間で軋轢が生じるかもしれません。

 

何よりも、国を滅ぼされ家族を殺され、追い詰められ生きたまま溶岩に飛び込んで焼かれていった人々を目にした難民にとって全てはグルヤンラシュの責任だから和解しようといわれても納得できる道理は有りません。

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タタメ・チチムには平和な場所で幸せになってほしい

 難民をそのまま帝都にとどめておけば治安の悪化や内乱へ発展する可能性が予想されるのではないでしょうか。

 

その解決方法として考えられるひとつとして、ガテリア皇国の再建支援と難民の帰還事業もしくは難民たちをウルベア帝国の未開発の地域へ半強制的に移住させる政策がありえるかもしれません。

 

ガテリア皇国の再建はかなり難しいでしょう。

ガテリア皇国の再建を援助した場合再建されたガテリアと再び敵対する未来が来るかもしれませんし、再建させようにもガテリア皇国の新たな指導者となるべき皇族がもう誰も居ない可能性が高いからです。

 

ガテリア皇国の指導者層は国が滅ぼされた折に皆殺しにされたと思われ、唯一の生き残り第一皇子ビャン・ダオは冷凍睡眠のまま行方不明となっています。

 

ビャン・ダオが第一皇子ということは少なくとも第二皇子以降が存在していたはずですがその者たちも登場しておらずガテリア残党が組織したレジスタンスからもそのような存在の話は聞けません。

第一皇子が年齢的には若く見えるのでその下の皇子となるとまだ子供や下手をすると赤子だった可能性もありますが、おそらく生き残りが居たとしてもグルヤンラシュの命令で処刑されたのではないでしょうか。

 

ビャン・ダオの家庭教師であり彼を冷凍睡眠させたリウ老師は戦後彼の居場所を探しています。

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リウ老師

もしかすると老師は皇子によるガテリア再建を考えていたのかもしれませんが、老師の残りの人生を懸けても見つけ出すことはできずビャン・ダオが目覚めるのは約3000年後の現代でした。

 

実際にガテリア皇国の本拠地があったと思われるボロヌスでは現代まで破壊され朽ち果てた地下遺跡が残されているだけでガテリア皇国が一度でも再建されたとは考えにくいでしょう。

 

次の未開発地域への難民の移住ですが、まだ未開発のモガリム街道方面やサーマリ高原方面への開拓や街道整備が歴史上はじめておこなわれたのはこの時期なのかもしれません。

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現在 開拓が進んだモガリム街道

しかし、この移住政策が成功したかには疑問があります。

まず、3000年前のガタラ大山林が現在ではガタラ原野となっている点に注目してみたいと思いますが、山林とは樹木の生えた山という意味の他に林業用語として「林産業用の樹木の集団的育成や伐採地を目的とした地目分類のひとつ」という意味があるようです。

 

ウルベア帝国の快適な生活は地脈エネルギーによってまかなわれていますが、それ以外の普段の煮炊きにつかう薪や家具などに使う木材は地上で育成していたのかもしれません。

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3000年前 ガタラ大山林と呼ばれていた時代

 原野とは耕作によらず草や低木が生えている土地の事を指します。

 

古代には大山林として樹木を育成できていた土地は現代では低木しか育たない土地となってしまっているのです。

これには3000年の間の気候変動や生態系の変化なども理由としてあるかもしれませんが古代ウルベア帝国時代のエネルギー問題もあったのではないでしょうか。

 

グルヤンラシュの死亡後、地脈エネルギーを規制する動きがあると上層住民であるフフママは発言しています。

地脈エネルギーが枯渇し砂漠化が進行しているからなのか、そうなると代用エネルギーの存在が求められますがそれがみつかるまでは当面木材や化石エネルギーの需要が高まると考えられます。

 

帝都の発展や快適な生活を支えるために地上の大山林は育成が追い付かないほどの速度で伐採されやがて原野となり、難民たちが入植した辺境からも大量の化石燃料や木材が贈られたとすれば入植地は収奪により持続的な発展ができず貧しいままで帝国に対する不満がより蓄積していったのかもしれません。

 

帝都を支える資源が枯渇していき辺境の各地では元々難民やその子孫たちによる反乱が頻発、そうやって徐々に文明は衰退していき遂には帝都を維持する事すら不可能になり帝都を放棄し古代ウルベア帝国は歴史の中に消えていった事が滅亡の原因だったという考えですが、これは十分あり得る話だと思えます。

※文明の盛衰と天然資源には大いに関係があります。

現実世界の歴史でも、栄華を誇ったローマ帝国は2世紀頃から森林資源の枯渇が始まりそれに伴い鉱物資源の採掘量の低下と農地の荒廃が食糧生産を低下させ、他にも公衆浴場で使う薪の不足やローマ人好みの窓ガラスを使った木造住宅が造れないといった文化・生活面の衰退も招き帝国自体が滅んでいく一因となりました。

中世暗黒時代と呼ばれるような長い停滞時期が訪れたのも森林資源の枯渇によりローマ文明の継承が不可能となってしまったことが主原因との説があります。

 

ただ、そうであるなら旧ドルワーム王国のように末裔を自称するような人々が現在に存在しておかしくありませんが今の処、古代ウルベア帝国の末裔という人々は出てきていないようです。

 

3.突然の滅亡だった可能性

個人的にはこの説が一番面白いと思っています。

 

滅亡原因が歴史に記録も残らず末裔を自称する人々もいない古代ウルベア帝国ですが、それは記録が残っていない・失われたのではなくある日突然、帝国に暮らす人々でさへ何が起きているのかわからないまま滅亡の時を迎えたという可能性はないでしょうか。

 

古代ウルベア帝国が突然滅亡したので、帝国の各地方の住人や守備兵も原因の特定ができないまま帝都の再建もできず帝国の広大な領土は分断された形になりそのまま国家としても消滅していったという考えです。

 

では、帝都が突然滅亡してしまう出来事とは何が考えられるでしょうか。

 

3-①.火山活動による大地震・地形の変化に巻き込まれた

3000年前のドワチャッカ大陸はカルサドラ火山の活動が現代より活発な時期でした。

火山活動による噴火や地震により帝都が突如崩壊してしまった可能性はあると考えます。

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3000年前 カルサドラ火山の活動は活発だった

現在の岳都ガタラは古代ウルベア地下帝国への入り口があったガタラの丘にある都市で都市自体が帝都の遺跡の上に建設されているといっても過言ではないと思いますが、ガタラの展望台へ向かう道中など、過去のガタラの丘を見比べてみるとだいぶ地形も違うようです。

 

現在のガタラ展望台の方が崖が切り立って高さもあるように感じます。

これは過去に大地震で地下都市があった空間が崩落しその影響で丘の一部が崩れて標高が下がってしまったのが原因かもしれません。

ガタラの住宅村の水没地区、もしかすると露出している部分は古代ウルベア帝国時代の遺跡なのかもしれません。

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住宅村の水没地区でみられる遺跡

 ただ、そこまでの大地震や火山噴火によるものであったならその災害自体は記録として残っているのではと考えます。

 

3-②.偶然の事故により都市が崩壊・維持が出来なくなった

天災によるものでもなく運悪く偶然起こった事故が地下で複雑なシステムによって管理されていた巨大な帝都の生活を不可能にするほどの大惨事を引き起こしたということはないでしょうか。

 

例えばですが、何らかの事故で帝都全体にエネルギーを供給するラインが破壊されてしまったとしたら移動に必要な反重力飛行装置が動かなくなり、高速で動く光る歩道も使用できなくなる。

また、地下に広がる帝都全体に新鮮な空気を送る空調システムが動かなくなることで帝都全体が酸欠状態になり地下都市で生きる事すら不可能になるかもしれません。

 

このような不運な事故があったかもしれないと考えるきっかけになったクエストがあります。エストNO.537「面倒臭がり屋さんの発明」です。

 

このクエストではウルベア帝国城の自動遊覧回廊を動かすポンプが何者かに盗まれ、すぐに別ポンプの生産ができないため取り返してほしいと技術者のダルチャンから頼まれますが、ポンプを盗んだ犯人はカルデア溶岩帯の地下に住むモグホルトに率いられたモグラでした。

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モグホルト親方

モグラ組はドワチャッカ大陸の地下全土の地下を掘り進めており、その過程でスコップが刺さってしまったポンプをそのまま持ち帰っていたのですが、モグホルトはポンプを返還しその代りにダルチャンが改良した超高性能スコップを受け取ることでクエストは解決します。

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超高性能スコップを手にした親方

超高性能スコップは土だけではなく岩をもプリンのように掘ることが可能でした。

「なんちゅうパワーじゃあ!

これなら ドワチャッカ大陸全土......いや

アストルティア全土を 掘ることもできるぞ!」

 

「わしらの夢......モグラ地下王国を 作ることも可能じゃあ!」

と、モグホルトは喜んでいましたがこの超高性能スコップと酷似したスコップが現代にも存在しています。

 

それはガタラの採掘ギルドの「おしゃべりシャベル」です。

おしゃべりシャベルが超高性能シャベルそのものなのか、複製品なのかは不明ですがおそらく古代ウルベアのダルチャンの技術にルーツがある事は確実でしょう。 

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採掘ギルドの おしゃべりシャベル

そして採掘ギルドで依頼を受け採掘するアストルティア全土に埋蔵されている宝を隠しチササに降霊してくる黄金の国の王の霊

「わ…我は 今は無き 黄金の国の……ト王だ。」

この語りからおそらく「……ト王」はモグホルトの事、そして「黄金の国」とはモグラ組が作ったモグラ地下王国の事だと思われます。

 

ガタラの採掘ギルド付近にも財宝を埋めていることから、超高性能スコップを入手後にもモグラ地下王国は古代ウルベア帝国周辺も再び掘り進めていたことがうかがえます。

 

超高性能スコップを手に入れ浮かれて地下を掘り進めているうちに、帝都のエネルギー供給の心臓部となるような個所を破壊してしまった。もしくは、地下空間を支える柱のような部分を破壊してしまったという事はありえないでしょうか。

 

戦争でなく天災でもなく記録にも残らない原因不明な滅亡をしたとするならそれはあっという間の出来事であり生存者もほとんどいなかったのではないかと仮定してみると、このモグラ王国が再び事故を起こしてしまった事が滅亡に繋がってしまった可能性があるような気がしています。

 

一瞬にして帝都の機能が失われ地下空洞を支える天井が崩落し地上のガタラの丘の一部が崩れるほどの惨事がおきたのなら住人たちの多くは一瞬で命を奪われた事でしょう。

広大な帝都で一部押しつぶされなかった空間があったかもしれませんがそこに避難で来た人たちも最終的に地上に脱出できたかはわかりませんし、居たとしても少数だったかもしれません。

 

かなり飛躍した妄想ではありますが、ひとりの技術者が善意と気まぐれで渡した超高性能スコップが帝国滅亡の原因となったとすればこれは悲劇なのか喜劇なのか。

 

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ためし掘りするデバリポ

ただ、帝都住民で会ったキバチェ夫妻・リュウの他にツィンカのような地上移住を考えていた人々の内一部は滅亡時にはすでに地上に移住していたためか子孫が現在まで生き残っているようです。

 

結論

滅亡の原因は不明ですので全部推論と妄想になってしまいますが、モグラ地下王国が超高性能スコップで掘り進んでいるうちに帝都を崩壊させてしまったという可能性が一番面白いのではないかと考えます。

 

 

太古の文明について その1

ここまで古代ウルベア帝国の最大版図と滅亡について個人的考えを書いてきましたが、古代ウルベア帝国の支配地域外と考えられる地域で大規模な遺跡が眠っている場所があります。

 

サーマリ高原の水没遺跡です。

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サーマリ高原の水没遺跡

3000年前はガタラ山林より南部・南東部はいまだ開拓がはじまっていない地域でした。

ガリム街道を抜けラニアッカ断層帯の先にあるアクロニア鉱山が発見されたのが約900年前です。

 

ドワチャッカ大陸を開拓したといわれる三闘士の末裔が建国した三国が開拓していない地域という事は少なくても三闘士たちが開拓していない地域の可能性が高いと考えられます。

 

しかし、ラニアッカ断層帯には「三闘の祭壇」があります。

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三闘士の祭壇の床にはハンマー・オノ・盾が描かれている

ハンマー・オノ・盾の三つの祭壇とそれらの中心にある三闘の祭壇は神話篇において王者の盾の保管場所である「三闘の神殿」への入り口でもありました。

 

これらの祭壇は、モガリム街道からラニアッカ断層帯に開拓が始まって以降に建設されたものと思い込んでいましたがどうやら違いました。

 

エストNO.089・090においてビャン・ダオからオノの祭壇は三国時代当時はカルサドラ火山火口での儀式を執り行うガテリア皇国民の移動手段として転移装置があったと聞かされます。

つまり、約3000年ほど前には未開拓の土地ではあっても少なくともガテリア皇国民はラニアッカ断層帯を利用していたことがわかります。

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オノの祭壇

祭壇全てがガテリア皇国によって建設されたのか。

個人的にはガテリアの本拠地でえあるボロヌスから遠く離れたラニアッカに建設されたこと、ハンマー・オノ・盾はそれぞれ、古代ウルベア帝国・ガテリア皇国・ドルワーム王国の象徴とされ保管されていた事から、この祭壇は三国時代より以前に建設され、全ドワーフにとって神聖な場所だったと考えます。

 

では、なぜ三闘士の末裔が暮らす領域ではない場所に祭壇は建設されたのか。

それにはラニアッカ断層より西の土地が関係あるのではないでしょうか。

 

 ラニアッカ断層より西にある地域は、ザグバン丘陵・サーマリ高原の二地域です。

 

ザグバン丘陵は過去に隕石が落ちたと思われるクレーターが大量にある土地ですが、ドワチャッカ陸自体がゴブル砂漠東の謎の半球地帯・魔天より飛来した天魔クァバルナと宇宙を連想させるものがいくつか存在します。

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謎の半球体と手前の謎の毛玉球体

 ザグバン丘陵をさらに西に抜けるとサーマリ高原があります。

サーマリ高原には巨大な水没遺跡がありその一帯はドルワーム王国が研究中との看板があり実態はいまだつかめていないようですが、「太古の祭壇」と呼ばれています。

 

※太古とは大昔・有史以前を意味します。

つまりサーマリ高原の水没遺跡群は有史以前のモノの可能性が高いといえます。

 

※有史以前とは文明が文字による記録を残すより前の時代を指します。

ドワチャッカ大陸に文字が生まれたのがいつ頃かは不明ですがドワチャッカ大陸の文明が歴史として確認できるのは創世記をみる限りでは約4000年前の三闘士によるドワチャッカ大陸の大規模開拓以降ではないかと考えます。

よってドワチャッカ大陸における有史以前とは三闘士の登場以前の時代となり、サーマリ高原の太古の祭壇がある地域が栄えていた時代はその名の通り解釈するならば三国時代よりかなり前の時代となるはずです。

 

 有史以前の遺跡「太古の祭壇」「三闘の祭壇」が関係あるのではと考えるかというと、両方に共通する「祭壇」という部分です。

 

※祭壇とは神・精霊・死者などに生贄や供物を捧げるための壇の事をいいます。

ドルワームによる研究が正しいとするならばサーマリ高原では過去には祭壇に生贄や供物を捧げる風習があったことになり、三闘士時代以降に建造された三闘の祭壇にも何かしらの供物をを捧げていたのかもしれません。

 

しかし、三闘の祭壇は王者の盾を封印していたりカルサドラ火山への移動装置に使われていたりとその名前と機能は一致してないようにみえます。

 

これは、三国時代には祭壇に生贄や供物を捧げる風習はすでに無くなっていたからではないかと考えます。

 

実際に、現在のウルベア地下遺跡・ガテリア皇国の本拠地があった最果ての遺跡・400年ほど前に再建されたドルワーム王国にも祭壇は存在しません。

ドワチャッカ大陸においてサーマリ高原とラニアッカ断層以外で祭壇があるのはガタラ原野の遺跡の森「朽ち果てた 遺跡の祭壇がある」と表示される三か所だけです。

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遺跡の森の祭壇を勝手に改造した恐るべき男 ツーゴ

遺跡の森は3000年前でもすでに現在ほどではないですが朽ちており遺跡となっていると思われる状態でした。

これらの事からも、祭壇に供物を捧げる風習は三国時代にはすでに無くなっていたとと思われ、祭壇がある場所は三国時代より以前、三闘士たちによる大規模な開拓の時代もしくはそれより以前の時代に建造されたと考えます。

 

サーマリ高原の太古の祭壇をはじめとした祭壇を置いた遺跡はどういう関係があるのか個人的な考えを次に書きます。

 

 

太古の文明について その2

祭壇が置かれた有史以前の遺跡は個人的に

  • 三闘士の登場以前にサーマリ高原を中心に栄えた文明がありガタラ原野にも祭壇を築いていたが、その文明は崩壊しドワチャッカ大陸から一度文明は失われた。
  • その後、三闘士が登場しドワチャッカ大陸の開拓をするが、旧文明の中心地であったサーマリ高原などの開拓は避けられた。
  • 大陸の開拓がすすみ新たな文明が登場した後、ラニアッカに三闘の祭壇が建設されたが生贄や供物を捧げる風習は継承されなかった。
  • 未開拓地域であるラニアッカに祭壇が置かれたのはサーマリ高原を中心とした旧文明の祟りを恐れ死者を祀ると同時にザグバン丘陵より西を禁断の土地として足を踏み入れることを禁止する目的があったのでは

と、考えています。

 

なぜサーマリ高原に栄えた文明は歴史にも残されず立ち入りが禁止されたと考えるのかというとサーマリ高原にある舗装された街道の跡が関係しています。

 

サーマリ高原にはきれいに敷石が敷き詰められた道が古代の祭壇方面からザグバン丘陵方面とガタラ原野方面にのびています。

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サーマリ高原に残る街道跡

これほど整備された街道はドワチャッカ大陸には他になく過去にこの地域が発展していたことが想像できますが、現在でこそガタラ原野とサーマリ高原は陸路で繋がっていますが過去世界ではまだ山でふさがれ通行は出来ませんでした。

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現在のガタラ原野とサーマリ高原は陸路で通行可能

ガタラ原野とサーマリ高原が陸路で繋がったのは大地の箱舟の建設計画の中で山が切り崩されからではないかと考えますが、現在でもガタラ原野側にはサーマリ高原方面への道は整備されていません。

  • サーマリ高原側からガタラ原野側に過去に整備された街道跡が残されている。
  • しかし、3000年前に世界ではサーマリ高原とガタラ原野(当時は大山林)は繋がっていない。

この二点から考えて、こう推測してみます。

 

サーマリ高原の太古の祭壇が栄えていた時代はガタラ原野との街道が繋がっており、ガタラ原野側に建設された遺跡の森にある建造物はサーマリ高原の文明人が建設したものだったが、ある時サーマリ高原とガタラ原野の間に大地が隆起し山となり街道は分断された。

 

その大地の隆起が起きた時に太古の祭壇は水没し滅びた。

ガタラ原野に残った人々も太古の祭壇の水没を知り、自ら都市を放棄しなければいけない事情がありそれによりドワチャッカ大陸全土から一度文明が滅ぶこととなったのではないでしょうか。

 

そして、三闘士が登場し再び大陸を開拓していく事になりますが祭壇を置く風習は継承されなかったのではなく、意図的に継承せず決別をした。

ただ、太古の祭壇を築いた文明への畏れと鎮魂の意味を込めて三闘の祭壇だけが建造された。

 

以上が推論となりますが、なぜサーマリ高原の文明は滅び祭壇を置く風習は継承されなかったのかを最後に

 

サーマリ高原文明は何故滅んだのか

太古にサーマリ高原に栄え、現在は遺跡として残る太古の祭壇を建造した文明は何故滅んだのか、そして祭壇を置く風習は継承されなかったのかについては

  1. ゴフェル計画以前に栄えた文明であり災厄の王やその眷属たちによって滅ぼされゴフェル計画から帰還したドワーフ族は文明の記憶を失っていた。
  2. 滅びはドワーフにとっては受け入れるなければならない理由があり文明を一度捨て去らなければならなかった。

この二つの可能性を考えてみたいと思います。

 

1.については二度目の災厄の王の出現によってアストルティア全土に被害が及んでいますがゴフェル計画から帰還したドワーフが以前の文明を完全に失っていたとは考えにくい気もします。そしてサーマリ高原とガタラ原野の境目の大地が隆起して街道が分断されたという部分も説明できない気がします。

 

2.については個人的に推したい可能性です

そもそもすべてが不明ですから妄想の範囲ですが、太古の祭壇を建造した人々や国の名前が不明である事、三闘士の開拓の範囲外で三国時代などの新たな文明の勢力範囲外となっている事、三国に祭壇が置かれていない事、サーマリ高原とガタラ原野が分断された事が一つにつながる気がするからです。

 

結論としては

太古の祭壇を建造した文明はワギの怒りによって滅ぼされたのではないか。

 

ワギは創生の女神ルティアナが産み落とした七柱のうちの一柱で「地の民ドワーフの種族神です。

 

ドワーフは高い技術力を持ちいくつもの高度な文明を築きましたが、その強い欲望故に争いもたえない種族のようです。

 

そのドワーフの種族神であるワギは「荒ぶるワギ」ともいわれ、大地を汚す者に対しては容赦のない一面を竜族との戦争でみせています。

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ドワーフの種族神 ワギ

神墟ナドラグラムでいつまでも成仏させてもらえない霊魂の一人、カーラ郷の長マボミの話では、カーラ郷は熱い岸壁に守られた堅固な土地でしたが岩壁の外に毒をまき散らし大地を腐らせ攻め寄せたアストルティア軍を根絶やしにしたことでワギの怒りに触れてしまいます。

ワギが神器を大地に打ち付けると岩壁が崩れカーラ郷は敗れ去りその周辺は現在にいたるまで自らが撒いた毒によって汚染された闇の領界となってしまいます。

 

地の民ドワーフの種族神であるワギが神器を使えば大地の形を変形させることすら容易だとしたら都市を一瞬で水没させ大地を隆起させることも可能でしょう。

 

サーマリ高原の太古の祭壇を水没させ、ガタラ原野との境目の大地を隆起させサーマリ高原を隔離するようにしたのは「ワギ」であったので後の三闘士たちも禁断の土地として開拓をしなかったのではないでしょうか。

 

では、ワギを怒らせてしまった原因とは何だったのかというとそこに「祭壇」が関係あるかもしれません。

祭壇とは生贄や供物を捧げるための壇であると書きましたが、ドワチャッカ大陸に全体的に我々現実世界の中南米アステカ文明マヤ文明・インカ文明のようなデザインを感じる人は多いのではないでしょうか。

 

ドワチャッカ大陸とアステカ・マヤ・インカ文明になんらかの関連性があったとするとアステカ・マヤ・インカに共通する風習として生贄の儀式があったことを思い浮かべます。

アステカ文明では太陽が消滅しないように新鮮な人間の心臓を捧げるという風習があり日常的に生贄の儀式が執り行われていたようです。

また、様々な目的に応じた何種類もの生贄の儀式があったようですが生贄に選ばれることは本人にとって名誉なことでもあったようで儀式の日まで丁重な扱いを受けていたという説もあるようです。

 

太古の祭壇を置いた文明においては生贄の儀式があったのではないでしょうか。

生贄となる人身御供を確保するためにガタラ原野方面への街道は整備され、頻繁に人身御供たちが運ばれてきていたのかもしれません。

 

これがワギの怒りを買い太古の祭壇は水没させられ街道は大地の隆起によって遮断されたのではないでしょうか。

 

生贄の儀式を行っていた文明は神の怒りを招いて滅亡したわけですから残ったドワーフはその文明や都市を捨てざるをえずドワチャッカ大陸から一度文明が消えることになる。

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太古の祭壇では生贄の儀式があった?

そして、三闘士たちによる大陸の開拓がはじまった時に前文明の儀式は継承されずラニアッカだけに祭壇が建設されそこより西を禁断の土地とし祟られないようにと願われたのが三闘の祭壇のはじまりだったのではないでしょうか。

 

ラニアッカの西にはザグバン丘陵も存在し、そこには隕石の衝突によると思われる多くのクレーターや七不思議「謎の飛行物体」が確認されています。

サーマリ高原の整備された街道はザグバン丘陵方面にも向かっていることを考えると、太古の祭壇を建造した人々は宇宙と何かしらの関りがあった、もしくは宇宙から来た存在が一時的にドワチャッカ大陸の支配層となりドワーフたちに生贄となる人身御供を要求していたのかもしれません。

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ザグバンのクレーターは地面に対して垂直に隕石が落下してできたと思われる不自然な形

 

アストルティアの歴史は創世記では、神話時代から4000年ほど前までは人間中心の記述ばかりで他の種族に関しては全く不明です。

ドワチャッカの歴史に記されていない時代に関する個人的な考えでいつも以上に妄想が多くさらに長くなってしまいました。

 

今回はここまで。